Dysphagia Knowledge Hub — 吞嚥困難知識庫
多発性硬化症と嚥下障害:病変部位別の症状と管理戦略
はじめに
多発性硬化症(Multiple Sclerosis: MS)は、中枢神経系の脱髄と神経変性を特徴とする慢性炎症性疾患であり、日本国内の患者数は約2万人と推定されている。発症年齢は20〜40代に集中しており、女性に多いという疫学的特徴がある。視力障害・四肢麻痺・認知機能障害・排尿障害など多彩な症状を呈するが、嚥下障害(dysphagia)はMSにおいて33〜43%の患者に認められる重要な合併症のひとつである。
嚥下障害はMS患者のQOLを著しく低下させるだけでなく、誤嚥性肺炎・低栄養・脱水といった二次的合併症の原因ともなる。しかしながら、MSの嚥下障害は他の神経疾患(脳卒中・パーキンソン病など)と比べて研究・認知度ともに低く、適切な評価や介入が遅れるケースが多い。日本においても、日本多発性硬化症協会(Japan Multiple Sclerosis Association: JMSA)がMS患者の包括的ケアの普及に取り組んでいるが、嚥下専門家との連携体制はいまだ発展途上にある。
本稿では、MSにおける嚥下障害の神経病態生理を病変部位別に整理し、疾患型(再発寛解型・進行型)ごとの臨床的特徴、標準的な評価手技、リハビリテーション戦略、そして嚥下調整食・IDDSI分類に基づく食事管理のポイントを体系的に解説する。
MSにおける嚥下障害の発生メカニズム
脱髄病変と嚥下機能
正常な嚥下は、大脳皮質から始まり脳幹の嚥下中枢(nucleus tractus solitarius: NTS・nucleus ambiguus: NA)を経て、舌・軟口蓋・咽頭・喉頭の筋群が精密に協調して実行される。この経路のいずれかにMS病変(脱髄斑)が生じると、神経伝導速度の低下または遮断が起こり、嚥下の遅延・不協調・筋力低下として現れる。
MSの脱髄病変は脳室周囲白質・脳幹・小脳・脊髄など中枢神経系全域に散在する点が特徴であり、嚥下障害の臨床像は病変部位の組み合わせによって多彩となる。
病変部位別の嚥下への影響
| 病変部位 | 嚥下への主な影響 | 代表的な臨床所見 |
|---|---|---|
| 脳幹(延髄・橋) | 嚥下反射の遅延・消失、咽頭収縮力低下、喉頭挙上障害 | 液体誤嚥、咽頭残留、湿性嗄声 |
| 小脳脚・小脳 | 嚥下運動のタイミング不協調、測定障害 | 嚥下のリズム乱れ、口腔期延長、食塊の断片化 |
| 大脳皮質下白質 | 嚥下開始の随意的制御低下、感覚性フィードバック障害 | 嚥下開始遅延、無症候性誤嚥 |
| 脊髄(頸髄) | 呼吸筋・嚥下補助筋の協調障害 | 嚥下後咳嗽、呼吸嚥下パターンの乱れ |
| 視床・基底核周囲 | 運動制御・注意機能の低下 | 食事中の集中力低下、食塊コントロール不全 |
脳幹病変は嚥下障害に最も直結しやすく、延髄病変を有するMS患者では嚥下障害の合併率が70%を超えるとの報告もある。一方、病変が皮質下や小脳に限局している場合でも、疲労(MS fatigue)の影響で食事後半に嚥下機能が著しく低下するケースが多い。
疾患型による嚥下障害の特徴
MSは疾患経過によって主に再発寛解型(Relapsing-Remitting MS: RRMS)と進行型(Primary Progressive MS: PPMS / Secondary Progressive MS: SPMS)に大別される。嚥下障害の臨床像はこの疾患型によって異なる。
再発寛解型MS(RRMS)と進行型MSの比較
| 項目 | 再発寛解型MS(RRMS) | 進行型MS(PPMS/SPMS) |
|---|---|---|
| 嚥下障害の発現形式 | 再発時に急性〜亜急性に出現し、寛解期に部分的〜完全に回復することが多い | 緩徐進行性で一度悪化すると改善しにくい |
| 嚥下障害の重症度 | 多くは軽〜中等度。高度障害は再発時の一過性が多い | 中等度〜高度が多く、慢性的に持続する |
| 病変の分布 | 時間的・空間的に散在。新規病変が症状変動を引き起こす | びまん性脱髄・軸索変性が蓄積。脊髄萎縮も進行 |
| 疲労との関係 | 疲労時に一時的に嚥下悪化(ウートホフ現象との鑑別が必要) | 慢性疲労が持続し、食事全体を通じて嚥下機能が低下 |
| リハビリへの反応 | 反応良好。寛解期に機能回復をめざした訓練が有効 | 機能維持・代償戦略が中心。回復より代償の比重が高い |
| 栄養・食形態 | 再発期のみ食形態変更が必要なケースが多い | 継続的な食形態調整が必要 |
ウートホフ現象(Uhthoff phenomenon)とは、体温上昇(発熱・入浴・運動)により一時的に症状が悪化するMS特有の現象であり、嚥下障害も体温上昇時に一過性に悪化することがある。食事中に症状が変動する場合は、食品の温度(熱い食品は避ける)や環境温度の管理も重要となる。
嚥下障害の評価
スクリーニング評価
外来・病棟での初期スクリーニングとして、以下の方法が日本の臨床現場で広く用いられている。
反復唾液嚥下テスト(Repetitive Saliva Swallowing Test: RSST)
- 方法:30秒間に随意的な空嚥下を繰り返させ、回数を計測する
- 判定:30秒で3回未満を「嚥下障害疑い」とするのが標準基準
- 特記事項:MS患者では疲労の影響が顕著に出やすいため、食事前後での比較評価が有用
改訂水飲みテスト(Modified Water Swallowing Test: MWST)
- 方法:3mLの冷水を口腔に注入し、嚥下を指示。嚥下の様子・むせ・湿性嗄声を観察する
- 判定:5段階プロフィールで評価。プロフィール3以下は精密検査を推奨
- 特記事項:MS患者では液体誤嚥が多いため、冷水への反応を丁寧に観察する
フードテスト(Food Test: FT)
- 方法:ティースプーン1杯(約4g)のプリンを嚥下させ、嚥下の質と残留を評価する
- 液体より嚥下しやすい半固形物での評価が可能であり、RSSTやMWSTとの組み合わせが推奨される
精密検査
スクリーニングで嚥下障害が疑われた場合、または症状が変動している場合は精密検査を実施する。
嚥下造影検査(Videofluoroscopic Swallowing Study: VF/VFSS)
- X線透視下で造影剤添加食品を嚥下させ、嚥下の全期を動態観察する
- MS患者では咽頭残留・誤嚥のタイミング・喉頭挙上の程度・嚥下反射遅延を評価する
- 異なる食品テクスチャー(液体・ペースト・固形物)での比較評価が推奨される
嚥下内視鏡検査(Videoendoscopic Evaluation of Swallowing: VE/VEES)
- 鼻腔から細径内視鏡を挿入し、咽頭・喉頭の構造と機能を直視下に観察する
- MS患者では声門閉鎖不全・咽頭残留・唾液誤嚥の評価に有用
- ベッドサイドや外来でも実施可能であり、繰り返し評価に適している
評価上の注意事項:MS患者では疲労による変動が大きいため、検査は食事に近い時間帯(午前〜昼前)に実施し、可能であれば疲労前・疲労後の2時点での評価が望ましい。また疾患修飾薬(DMT)による免疫抑制下での検査時は感染管理にも注意が必要である。
リハビリテーション戦略
直接訓練と間接訓練
MS患者の嚥下リハビリテーションは、直接訓練(食物を用いた嚥下練習)と間接訓練(食物を用いない機能訓練)を組み合わせて行う。疾患の再発・寛解サイクルに応じて訓練の強度と目標を柔軟に調整することが求められる。
間接訓練(機能訓練)
- 口腔・顔面筋訓練:舌の前後・上下・左右運動、口唇閉鎖訓練、頬筋訓練。筋力低下を呈する進行型MS患者に特に重要
- Shaker運動(頭部挙上訓練):仰臥位で頭部を挙上保持する運動により舌骨上筋群を強化し、喉頭挙上を改善する。ただしMS患者では疲労に注意し、短時間・低反復から開始する
- Masako法(舌保持嚥下):舌尖を歯列間で保持しながら嚥下を行うことで咽頭後壁の前方収縮を強化する
- 呼吸訓練:横隔膜呼吸・呼気筋強化により嚥下後の呼出力(cough clearance)を高める。MS患者では呼吸筋力低下を合併しやすく重要
直接訓練(食物使用)
- 嚥下姿勢の調整:頭部前屈位(chin-down)により気道入口を保護。体幹・頸部の支持のため適切な座位保持装置を使用する
- 代償的嚥下手技:声門上嚥下・超声門上嚥下など、意識的な声門閉鎖を促す手技を指導する
- 食事環境の調整:十分な休憩時間を設け、疲労が蓄積しない食事時間の短縮化(1回の食事を20〜30分以内)を目標とする
疲労管理(MS fatigue)と嚥下
MS疲労(MS fatigue)は、患者の75〜90%が経験する本疾患に特有の深刻な症状であり、身体的活動量に不釣り合いな疲弊感として現れる。嚥下は連続した精密運動であるため、疲労の影響を受けやすい。
- 食事の分割化:1回量を減らし、1日4〜6回に分けて摂取する(少量頻回食)
- 食事タイミング:疲労が少ない午前〜昼前に主な栄養摂取を集中させる
- 食事前の休息:食事の30分前には身体活動を控え、十分な休息を確保する
- 食品形態の簡略化:咀嚼に多くのエネルギーを要する食品を避け、適切な食形態に調整することで嚥下に要するエネルギーを温存する
食事テクスチャー管理:嚥下調整食2021とIDDSI
日本嚥下医学会(JSDR)嚥下調整食分類2021
日本嚥下医学会(JSDR)が策定した「嚥下調整食分類2021」は、嚥下機能に応じた食事コードを0〜4の5段階で定義している。MS患者への適用においては、疾患型・重症度・疲労の程度に応じて個別に判断する。
| 嚥下調整食コード | 食事形態 | MSでの適応の目安 |
|---|---|---|
| コード0j(とろみ水) | 均一なゼリー状水分 | 液体誤嚥が強い時期(再発時など)の水分補給 |
| コード1j(嚥下調整食1j) | 均一で付着性低・凝集性高のゼリー | 高度嚥下障害期(重度進行型・再発急性期) |
| コード2-1(嚥下調整食2-1) | ピューレ・ペースト状(均一) | 中等度以上の嚥下障害、口腔期・咽頭期双方の問題 |
| コード2-2(嚥下調整食2-2) | 不均一なミキサー食 | 中等度嚥下障害で口腔処理が可能な場合 |
| コード3(嚥下調整食3) | 舌でつぶせるやわらか食 | 軽〜中等度嚥下障害。咀嚼力低下を伴う場合 |
| コード4(嚥下調整食4) | 普通食に近いやわらか食 | 軽度嚥下障害またはRRMS寛解期 |
IDDSI(国際嚥下調整食分類)との対応
IDDSI(International Dysphagia Diet Standardisation Initiative)は嚥下調整食の国際共通基準であり、日本でも近年普及が進んでいる。MS患者の食事管理においても、国際的なコミュニケーションや多施設間の連携においてIDDSIの使用が推奨される。
| IDDSI レベル | 名称(英語) | JSDR コードとの対応目安 | MSでの適応 |
|---|---|---|---|
| Level 0 | Thin | とろみなし液体 | 誤嚥リスクがない軽度例のみ |
| Level 1 | Slightly Thick | 極薄とろみ | 液体誤嚥の軽度リスク |
| Level 2 | Mildly Thick | 薄とろみ | コード0j相当。液体誤嚥リスク中等度 |
| Level 3 | Moderately Thick | 中間とろみ〜シロップ状 | 液体誤嚥リスクが高い場合 |
| Level 4 | Pureed | コード2相当 | 中等度以上の咽頭期・口腔期障害 |
| Level 5 | Minced & Moist | コード3相当 | 軽〜中等度嚥下障害 |
| Level 6 | Soft & Bite-Sized | コード4相当 | 軽度嚥下障害・寛解期 |
| Level 7 | Regular | 普通食 | 嚥下機能が保たれている場合 |
液体のとろみ調整には市販の増粘剤を使用するが、MS患者では疲労時の摂取量低下による脱水リスクが高いため、とろみの過度な強化は避け、最低限必要なレベルに調整することが重要である。
多職種連携と日本の診療体制
MSの嚥下管理には、神経内科医・言語聴覚士(ST)・管理栄養士・看護師・作業療法士・理学療法士による多職種チームのアプローチが不可欠である。
日本多発性硬化症協会(JMSA)は、患者・家族への情報提供や支援活動を行う患者団体であり、嚥下障害に関する啓発活動も進めている。神経内科主治医との連携のもと、SSTが定期的な嚥下評価を実施し、栄養士が食形態の個別調整を担う体制が理想的である。
日本神経学会の「多発性硬化症・視神経脊髄炎スペクトラム障害診療ガイドライン2023」では、疾患修飾療法(DMT)の標準化が中心であるが、症状管理の一環として嚥下障害への対応も記載されており、STへの早期紹介が推奨されている。
また、嚥下障害のある入院MS患者に対しては、退院支援カンファレンスにおいて自宅での食事調整・訪問リハの継続・介護サービスの活用などを計画的に検討することが、再入院予防と長期QOL維持の観点から重要である。
まとめ
多発性硬化症における嚥下障害は、全体の33〜43%に認められる頻度の高い合併症であり、その臨床像は病変部位・疾患型・疲労状態によって多彩に変化する。主要なポイントを以下に整理する。
- 病変部位の理解:脳幹病変が嚥下障害に最も直結しやすく、小脳・大脳皮質下・脊髄病変が複合的に関与する
- 疾患型による差異:RRMSでは再発時の急性悪化が主体であり、進行型MSでは慢性的な嚥下機能低下への継続的な対応が必要
- 評価の標準化:RSST・MWSTによるスクリーニングに加え、VF/VEによる精密評価を実施し、疲労の影響を考慮した評価設計が重要
- リハビリテーション:間接訓練・直接訓練の組み合わせ、代償手技の習得、疲労管理(少量頻回食・食事タイミング調整)が有効
- 食事管理:JSDR嚥下調整食分類2021およびIDDSIに基づく個別の食形態設定と、脱水予防を意識した水分管理が求められる
- 多職種連携:神経内科医・ST・管理栄養士・看護師が協働し、JMSAや地域リハビリ資源とも連携した継続的なケア体制の構築が不可欠
MS患者の嚥下障害は、適切に評価・介入することで誤嚥性肺炎や低栄養のリスクを大幅に低減できる。本疾患に関わるすべての医療・介護専門職が嚥下問題への感度を高め、早期介入を実践することが患者のQOL向上に直結する。
本記事は一般的な医学情報を提供するものであり、個々の患者への医療行為を指示・代替するものではありません。嚥下障害の評価・管理は必ず資格を持つ医療専門職(神経内科医・言語聴覚士など)の監督のもとで行ってください。