多発性硬化症と嚥下障害:疲労・再発と嚥下管理

多発性硬化症(Multiple Sclerosis:MS)は、中枢神経系(脳・脊髄・視神経)の白質に多発性の脱髄病変が形成される自己免疫疾患です。日本での有病率は人口10万人あたり約5〜10人と推計されており、20〜40歳代の若年・中年層に多く発症します。

MSにおける嚥下障害(えんげしょうがい)は、疾患の進行度・病変部位・再発の有無・疲労状態によって大きく変動する複雑な病態です。嚥下障害は軽度から重度まで幅があり、早期から対応することで長期的なQOLの維持に貢献できます。

MSにおける嚥下障害の有病率と機序

MSの嚥下障害は報告によって異なりますが、嚥下障害は**MS患者全体の30〜43%**に認められるとされます。疾患の進行とともに有病率は上昇し、二次進行型MSでは60〜70%に達するとの報告もあります。

嚥下障害を引き起こすMSの主な病変部位

病変部位嚥下への影響
脳幹(延髄・橋)嚥下中枢(BST)・関連神経核の直接障害 → 嚥下反射の遅延・消失
大脳白質(皮質延髄路)随意嚥下開始の困難・口腔期障害
小脳嚥下の協調性・タイミング障害
頸髄呼吸と嚥下のタイミング協調障害

MSでは再発のたびに新たな脱髄病変が追加される可能性があり、嚥下機能は再発・寛解を繰り返す不規則な経過をたどります。この経過が、MSの嚥下管理を複雑にしています。

MSに特有の嚥下障害の特徴

1. 疲労との深い関係

MS疲労(MS Fatigue)は、MSの最も頻度の高い症状の一つで、患者の75〜80%が経験します。MS疲労は通常の疲労とは異なる神経性の疲労であり、短時間の活動後にも重篤な疲弊感が生じます。

嚥下は繰り返しの運動を要する活動であるため、MS疲労は食事後半になるにつれて嚥下機能が低下するという特徴的なパターンを引き起こします。

実践的意義

2. ウートフ現象(Uhthoff’s phenomenon)

体温上昇(入浴・発熱・暑い環境・運動)によって脱髄領域の神経伝達効率が一時的に低下し、MS症状が悪化する現象です。嚥下機能もウートフ現象によって一時的に著明に悪化することがあります。

介護現場での注意

3. 認知機能障害と嚥下への影響

MS患者の40〜60%に何らかの認知機能障害(処理速度低下・記憶障害・注意障害)が認められます。認知機能障害は嚥下の口腔準備期(意識的な咀嚼・食塊形成)への注意・集中力を低下させます。

また、MSに合併するうつ病(有病率30〜50%)は食欲・食事意欲を低下させ、低栄養リスクを高めます。

再発時の嚥下管理

MSの再発に伴って嚥下障害が急性増悪した場合は、以下のステップで対応します。

ステップ1:急性期の安全確保

ステップ2:STへの緊急受診 再発による嚥下障害の急性増悪は、ST受診の緊急適応です。VE/VFSSによる精密評価と食形態の再設定が必要です。

ステップ3:ステロイド治療と嚥下機能 MS再発のステロイドパルス療法は脱髄病変の炎症を抑制し、嚥下機能の回復を促進することがあります。ステロイド治療中は口腔カンジダ症のリスクが上昇するため、口腔衛生管理の強化が必要です。

IDDSIフレームワークによる食形態管理

MSの嚥下障害は変動するため、定期的なSTによる再評価と食形態の柔軟な調整が求められます。

IDDSI(iddsi.org/framework)の食形態レベルは以下を参考に、疾患の状態・疲労レベル・再発の有無に応じて動的に調整します。

学会分類2021(JDS-C 2021)では、MSの状態変動に対応するため、「当面のコード」と「体調不良時のコード」を2段階でケアプランに明記する運用が実践的です。

栄養管理の特別考慮点

MS患者の栄養管理では以下に注意が必要です。

ビタミンD:MS患者ではビタミンD不足が高頻度に見られ、疾患活動性に影響する可能性があります。嚥下調整食においてもビタミンD強化食品・サプリメントの活用を管理栄養士と相談することが推奨されます。

体重管理:MS患者では運動機能低下に伴う肥満傾向と、嚥下障害・うつに伴う低体重が両極端に存在します。嚥下調整食のカロリー設定を個別化することが重要です。

嚥下障害のメカニズムを理解した上でMSの変動性・疲労・再発の特性を組み合わせて把握することで、安全な嚥下の介護戦略の実践精度が向上します。

参考文献